皆さんは南極へ行ったことがありますか?今回、南極の世界をTHETAに収めてくださった新井啓太さんにお話を伺うことが出来ました。新井さんが何故南極へ行くことになったのか、南極のどんな世界を360度カメラのRICOH THETAに収めたのかを伺いしました。
【新井啓太さんプロフィール】
相模女子大学中学部・高等部教諭。美術教科とICT・広報・図書の校務分掌であるメディア情報部主任を担当。日本初開催のGoogle for Education認定イノベーターに選出。GEG Kamakura、GEG Machida、Sensei with Google Earth Japanメンバー。第60次南極地域観測隊夏隊同行者。
1984年3月 福岡県に生まれ、神奈川県で育つ
2006年3月 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
2007年4月~ 相模女子大学中学部・高等部に勤務
2019年4月~東京・神奈川を中心に、小中高大、教育系イベントや地域連携で南極講演やワークショップを展開
-新井さんは現在、中学生、高校生に美術を教えている学校教師だと伺いました。「何故南極に行ったか?」の前に、どのような経緯で美術の先生になったか教えて頂けますか?
子どもの頃から絵を描くことが好きでした。しかし数学も体育も好きでしたので、特に美術で身を立てることは考えていませんでした。高校受験に失敗し、行きたい高校に行けず悶々としていた高校1年生の冬、友人のお姉さんが美大を受験するために近所のアトリエで勉強をしていることを聞き、私も興味を持ち、デッサン体験に通ったことが美術の道に進む転機だったと思います。もともと小さい頃から絵を描くことが好きでしたが、アトリエで描いていた先輩たちの作品を見てとても驚きました。少しは上手に描ける方だと自信もありましたが、自分とは比較にならないほどの技術力と表現力のある素晴らしい絵がたくさんあったんです。アトリエは、自分には出来ないことが溢れていて、「すごい!どうやったらこんな風に描けるんだろう!?」と素直に感動して、その世界に夢中になってしまいました。高校2年の進路相談の時に藝大に行きたいと申請したら、アイドル志望のクラスメイトと私の二人が担任の先生に呼び出され、「君たちの進路がいかに危ういか」を滔々と説かれました(笑)。数学が得意だったので、理系で大学に進学する道を薦められましたが自分の気持ちは変わりませんでした。
両親には、美術系はとても学費が高いので国立大学にすること、教員免許を取ること、を条件に了解を得て、東京藝術大学 油画科を目指すことにしました。
受験に向けてアトリエに通いましたが、私よりも絵が上手な人ばかり。でも、「何が何でも東京藝大に入るんだ!」という気持ちの強さは誰にも負けていなかったと思います。
学校の先生になろうと思ったのは大学を卒業してからです。縁があって相模女子大学中学部・高等部の美術教師の募集を知り教師の道を歩む決断をしました。学生時代に経験した教育実習で子どもたちと体当たりで接した経験がとても素晴らしく、自分の心に残っていたのも大きな要因です。そして2007年から本校で美術を教えています。
-2007年から美術の先生をされていた新井さんが、どんなきっかけで南極に行くことになったのでしょうか。
私には息子が2人いるのですが、長男と休日に出かけた「はまぎんこども宇宙科学館」で、国立極地研究所 伊村教授の南極についての講演を聞いたことがきっかけでした。
長男が南極に関心を持ったので、今度は家族で立川市にある国立極地研究所で実施された昭和基地開設60周年記念のイベント「南極祭り」に行ったんです。私自身が南極に興味があったと言うよりは、子どもたちのためだったのですが、そこで配布された新聞(南極観測60年『迫った地球の神秘』朝日新聞)に教員南極派遣プログラムの募集が掲載されていて、それを見つけた妻がつぶやきました。「夫が南極に行くって面白いかもね・・・」。(・・・・え?行っていい?)。言葉にはしませんでしたが、妻のその一言に勇気をもらい、一気に南極へ行く気満々になりました(笑)。
教師になって7年ほどは、学校の中に閉じこもり美術授業の環境を整えることに力を注いできましたが、徐々に外部の人との繋がりが増え、既存の枠に捉われない授業を目指すようになり、「教室を飛び出す学び」を生徒たちに体験してもらいたいと意識するようになりました。2016年にテクノロジーを担当する校務分掌“メディア情報部主任”に着任した影響が大きかったと思います。私が南極へ行くことで、生徒たちとプロジェクトを立ち上げ、関わった全ての人が「祭り」のようにワクワクする気持ちで南極を身近に感じることができる場を作りたい、という想いが強く湧いてきました。
その年は既に締め切り10日前で準備をする時間が十分に持てずに諦めましたが、企画に賛同してくれた芸術科の先生や校長、理事会の理解と応援を頂き、翌年2018年の第60次教員南極派遣プログラムに応募しました。きっかけは家族。そして周囲の沢山の人に支えてもらい南極行きが実現したのです。
-教員南極派遣プログラムとはどのようなプログラムですか?
このプログラムは、国立極地研究所、公益財団法人日本極地研究振興会が主催(文部科学省と連携)して実施するもので、極地の科学や観測に興味を持つ現職教員を南極昭和基地に派遣し、衛星回線を利用して、現地から派遣教員が企画する「南極授業」を行うものです。2009年から毎年2名の教員が派遣され、私が参加した第60次隊で計20名の教員が派遣されたことになります。2018年11月25日に成田を出発し2019年3月21日に帰国する約4か月の活動です。私が企画した南極授業は、有志生徒が主体的に企画と運営に参加して、相模女子以外に8校の学校と同時中継する中で披露したライブパフォーマンスと、一般参加の子ども達が“南極の未来を託す”をテーマとして考えるワークショップです。また、南極授業に限らず派遣期間前後に出来ることが沢山あると考えました。その一つとして、過去に派遣された教員が行ってきた様々な南極授業がまとまった形で公開されていなかったので、教員南極派遣プログラムを紹介するホームページがあれば多くの人にもっと知って貰えると思い、このサイトを立ち上げました。
-THETAを知ったきっかけと南極にTHETAを持って行きたいと思った理由をお聞かせください。
何がきっかけかは忘れてしまいましたが、確かTHETA Sが発売された頃にTHETAのことを知り、興味を持っていました。生徒に臨場感をもって南極を感じて貰うには質の高い映像コンテンツが鍵になると考えていたので、360度全てを撮影できるTHETAは欠かせない撮影機材でした。南極大陸はストリートビューも殆どありません。
南極観測船しらせより
ペンギンたちが子育てするルッカリー
昭和基地より
-南極ではたくさんのTHETA写真&映像を撮影されたと思います。その中でも特に新井先生がお気に入りの写真や映像をいくつか教えてください。またそれを撮影するときの出来事や苦労を教えてください。
そうですね。THETAで1万枚以上の360度写真を撮影してきましたので選ぶのが難しいですが、その中でも一番のお気に入りはこの写真です。夏期間にだけ見ることが出来る白夜の「沈まない太陽」。
太陽の動きも素晴らしいですが、反対側の空がピンクとオレンジでとても美しいですよね。これはビーナスベルトと呼ばれています。肉眼で見るビーナスベルトはスケールが大きく、私はTHETAに写らないように隠れながらこの景色に長時間見惚れていました。
この地平線の境にある紺色の部分は地球の影なんですよ。これは忘れられない景色です。
この「沈まない太陽」は、2分毎にインターバル撮影しAdobe Lightroomで編集し、Premiereで繋げて動画にしました。
ヘルメットのテッペンにTHETAを装着し、ヘルメットと三脚を固定し、PC用のモバイルバッテリーを使い約20時間撮影しました。モバイルバッテリーは冷気にやられないように空気の層を作るために何重かの袋で包むなどの工夫をしました。途中でモバイルバッテリー交換し続けたことで、風が穏やかな快晴の貴重な長時間撮影を実現させることが出来ました。
沈まない太陽を撮影した機材。南極で撮影した商品の掲載はPRとなりNGのため、イラストで表現してみました。三脚の上にヘルメット。ヘルメットの上にTHETAが乗っています。
苦労したのは強風です。機材が倒れないかとても心配しました。ここは南極大陸の内陸で空気中の微細な粒子を観測するS17という場所ですが、この場所でこの写真を撮影するために、失敗しないために、念入りに準備をして臨みました。
お気に入りの2つ目は「アムンゼン湾」です。
流氷と大海原の境目が撮影されています。氷になる前の赤ちゃん氷(蓮葉氷)がたくさん浮かんでいます。また、小さい流氷の上にアザラシが休んでいたりします。ペンギンもみつかるかも。見つけてみてください。かわいいですよ(笑)。
これは南極観測船しらせの06甲板でTHETAを固定して撮影しました。
3つ目のお気に入りは観測隊の仲間と撮ったこの一枚です。
これはアイスオペレーションに行った時の写真です。アイスオペレーションとは、南極の氷の採掘のことです。私が家族と「南極祭り」のイベントに参加したとき、初めて南極の氷に触れて感動しました。それは何百年、何千年もの間積み重なった雪が重さで徐々に圧縮されて出来た透明な氷で、その時代時代の空気が気泡として含まれています。日本で触れることができる数少ない「本物」の南極の氷がどうやって日本に届くのか知りたいと願っていました。昭和基地からスノーモービルと雪上車で15分ほど海氷を移動して、氷山からツルハシを使って採取しました。ドームふじ基地周辺では、なんと!100万年前の氷を掘り起こす計画が進んでいます。撮影日は2月6日。4日後に迫る夏隊と越冬隊の別れの日を寂しく思いながら氷山の上で撮影した記念の1枚です。越冬隊31名は今も昭和基地に残って活躍中です(詳しくはこちら>>国立極地研究所 南極観測のホームページ)
南極地域観測隊は異なる分野の専門家が集まってチームとなって活動します。極地の閉鎖空間で協力し合い生まれる絆と信頼関係があって、60年以上南極観測のバトンがつながり続けています。同行者である私も、その仲間の一員に迎え入れて貰いました。
-最後に、THETAに関するご意見やご要望をお聞かせください
南極ではTHETA以外にもPENTAX K1 MarkⅡを持って行き、たくさんの写真を撮影しました。360度の醍醐味は360度音声とセットだと思っていましたので、データをバックアップするための外付けハードディスクを持って行きましたが、やはりTHETAで撮影した動画はデータ容量がとても大きく、PCへの引き取りやTHETA内の画像を削除する際にとても時間がかかり苦労しました。なので、場面によってはインターバル撮影をよく活用しました。インターバル撮影であれば静止画ですのでデータ容量を抑えられ、静止画単体としても活用し易いですし。必要に応じて別撮りした音を後で組み合わせています。
また、南極活動に限らず、日頃の教育活動にも360度カメラを使いたいと考えています。THETAで撮影した360度画像・映像をヘッドマウントディスプレイで見せるだけの用途ではなく、THETAを生徒に持たせ、彼らがどのように撮るのか、撮ったものをどのように活用するのか、撮る体験と作る体験が創造性を刺激し、とても有意義な時間になるはずです。
目をキラキラとさせながら話してくれる新井さんの話に思わず時間を忘れて引き込まれました。
今回ここでご紹介できなかった写真は教員南極派遣プログラムホームページに掲載されていますので、是非そちらの「写真が届くPhoto Album」もご覧ください。
~ 新井さんからのメッセージ ~
南極派遣を経験した教員は、帰国後に全国で情報発信を続けることも重要な役割です。
ご興味のある方は>>こちらへ、メッセージをお寄せください!
(インタビュー:中本)